昭和五十一年一月十五日 朝の御理解


御理解 第二十二節 天地金乃神といえば、天地一目に見ておるぞ。神は平等におかげを 授けるが、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。神の徳を十分に受けようと思えば、まま よという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは死んでもままよのことぞ。


 神様が限りなくお恵みを下さる。受け物が悪ければおかげが漏るぞと。金光教の信心でいうおかげというのは、そういうおかげでなからなければ本当ではないと思うですね。受け物が出来た、おかげを受けたというのでなからねばいけない。ところが受け物が出来なくてもおかげの受けられるという、いうなら事実ですかね。いわゆる願う氏子におかげを授けと仰せられますからそういうおかげからお互い入っていくのですけれども、入り口もそこならまた出口も同じことではいけん、ですね。いわゆる金光教の信心はただおかげに終始してはいけないという事がはっきりここに言ってあるわけです。
 昨日宮崎から三通のお礼の手紙が来てます。それも皆さん本当におかげを、この方達はほんのおかげの泉だけでおかげを受けとるとですよ。もう驚くばかりです。で、最近はあちらの御信者さんばかりが集まって一緒に、この前の共励会なんかは、もう一日中共励をしてあるですね。それも何を中心にするかというとおかげの泉を回し読みにしてそしてそれを研修する。もう本当におかげを頂いて。私もこの七十六号をもう何回読んだかわかりません。けれども読む度におかげを受けるです。これは本当に不思議です。いわば何と言うでしょうかね、活字と活字の間におかげがあるようですよ。もう意味とかそれだけじゃないごたるですよ。やっぱり頂かなければいけません。
 ここの網さんというのなんかは、年末に初めて夫婦で参って見えて宮崎市内で魚屋さんをなさっておられる。<それでもう>どうにもこうにも出来ないので、もう止めるという、だから他に道はないだろうか何かヒントを頂きたいというので、あちらの甲斐さんという御信者さんの、とにかくそういう訳なら一ぺんお参りして見なさいと言うてお参りして来て、夫婦で参って来て。その方が手紙に書いておりますことなどは、親先生が言われる通りにしたら今年は商売が年末百パーセントと書いてあります、のおかげを頂いたと書いてあります。おかげで魚屋を断念せんでも済んだ。おかげでそこからおかげの道がまた子供達の上にもいろいろ開けそうだというお礼の手紙が来てます。受け物が出来たわけでも何でもないでしょうが。そしてその信心の研修がです初めてその研修に参加したその模様がずっと書いてあります。
 昨日、玄潮がお供えを頂いております。それに生きるという見出しで良いことが書いてあるのですけれども。昨日は福岡の吉木先生、いわゆる吉木辰次郎先生の奥様ですけれども今の親奥様ですね。もう七十幾つになられるでしょう。六十年間一筋に楽道、がくの道ですね、に生きる吉木さんと題した先生の事が出ております。その中に私は本当にやっぱりそうだなと思うんですけれどもね。「稽古こそ楽人の真心」と言っておられます。大変稽古に厳しいお方だそうです。けれどもその例え何が出来なくても楽は教会の御比礼だと。楽の盛んなとこはもう必ず御比礼が輝いておると。そういうと合楽の場合なんか誰も楽人を作らんならんとかせにゃならんと言うわけじゃないけども、段々発展して私は昨日はこのことである意味でまあ面目をほどこしたんですけれども。昨日は親教会で今度、親先生の一年の式年祭が二月の八日です。その準備の事やなんかで、その打合せが昨日ございました。それで楽も合楽からも出ることになったわけですけれども。最近の合楽の楽は、楽人さん方は見事に揃うたという話がでました。よっぽど私が楽に力を入れとる様な感じですけど、全然力入れとらんです。入れてござるなら神様が入れてござるとしか思われないです。ね、やはり合楽の御比礼の一つの現れですけれども楽人さんが楽の稽古をするということがそのまま真心だと、それで昨日の御理解のいわゆる信心の稽古、いわゆる信心の稽古ということは勉強だとね。その信心の勉強をするということ、その稽古をすることそのことがやはり真心なんです。
 私、今日ここんところを頂いてです、はあ昨日の稽古という、もう稽古そのものが真心だなと。なら、宮崎の網さんが言っとられる様にお参りは合楽にいっぺんしかしたことがない。だから繰り返しおかげの泉を読む、初めて信者の方ばかりの集まりの信心研修会に一日、合楽におかげを頂いてとにかくおかげ話ばっかりだったそうです。こんなおかげを頂いた、こんなおかげを頂いたという、そのおかげ話でそれを聞かせて頂いておるうちにです、信心の稽古が非常に楽しくなったと言っとられます。だからその稽古しておることそのことがやはり真心だからおかげを頂くのじゃないでしょうかね。お参りはしてきとるけれども、稽古をしないならそれは真心ということは大変な広い範囲を持っておるものですけれども、なら楽人が楽に打ち込む稽古をしておる、即そのまま真心だと思うですね。信心をさせて頂いておる、その信心をいよいよ信心とは真の信心とは、というふうに追求する。稽古をその手を緩めないというならば、もうその事だけがやはり真心です。やっぱり稽古せにゃいけませんよ。
 でないとです、なら今日の御理解に頂く様にです。入口も出口も同じことのおかげになってしまうです。入口は誰だっておかげから入ってくるわけです。そして稽古をさせて頂いて、出口はです、いうならばどの様な場合であっても、ままよの心が出せれる様なおかげ。そりゃ信心しとっても様々な事があります。けれど、どういう事に直面致しましてもです。信心の日頃稽古をさしてもらい、おかげを頂いておりますと、この様に間違いのない神様、この様に一分一厘間違いのない神様の働きを、日々見たり聞いたり頂いたりしておりますから、どの様な場合に直面してもです、それも神様の御都合に違いはない、御神意の中、いうなら御神愛の中に起きておることに違いはないと。普通からいうならば目の前が真っ暗になる様なことに直面してもです、それをこれだけ信心しよるのにどうしてじゃろかといった様な心は起きて来ないという事です。私はここんところを確かめ確かめして行かなきゃ信心は進まんと思うですね。【 】調子良うおかげを頂く時にはもうニコニコもう何か困った事が起こって来ると神様に不足の様なことを、その言うたり思うたりお届けしたりする人がありますけれどもね、それでは日頃信心の稽古がどこへ行っておるかわからんという事になるのです。同時にです、受け物が悪ければおかげが漏るぞと、あるのですから結局受け物を作るための信心修行であり、稽古である、という事になります。そしてなら限りないおかげを受けておる人達をです、の信心を見習うより他にない。教えてもらうより他にはないという事になる。
 神の徳を十分に受けようと思えばままよという心、私はそういうチャンスに恵まれる。このやっぱり玄潮にある先生が、こんなことを書いておられる。「捨てるという事と越えるという事」昔、一遍上人という大変有名なお坊さんがおられました。その方は第一、親を捨て子供を捨てそして家を捨て、だから一遍上人のことをなんか最後には捨てるという事すら捨てて、一生を旅に終えられたというのです。野に伏し、村を巡り仏の教えを説きつつ全国を回られた。ところがそこから例えば無一物の中に生かさねばおかんという働きを感じとられたと。けれどもある偉い先生に会った時にそのことを聞いたら、金光教の信心は捨てるという事ではなく越えるという事だと教えられたと言うのでございます。
 私は越えるということも、私は越えるというふうには思わなかったんですけども、そりゃ信心修行させてもらう時に私共も過去において本当にそういうふうに思うたです。何もかにも捨ててしもうて、信心の道一筋に修行がでけたらどんなに楽しい事だろうかと。梅林寺にあのお坊さんあたりがそれこそ墨染めの衣一つに身を纏うて、そしてその事だけに専念して修行なさっておられる。本当に羨ましいと思うた。
 ところが、金光様の御信心はそういう家を捨てるとか、家内を捨てるとか子供を捨てるというのではなくて、そういういうならばものの中にです、それをいうならば引っ提げての信心修行なんです。いうならば家を捨てるとか、そりゃあ欲を捨てるという意味で捨てるわけでしょうけれどもそれではお道の信心にならない。様々な難儀もやはり一切引っ提げて、その中に信心を頂いて行こうというのですから、やはり家業の行だということがわかります。そういう中にです、いうならばままよという心にならなければと教えておられるね。神様が捨てよと仰れば、いつでも捨てられるというものがなからなければいけません。自分が捨てるのじゃいけません。神様が家を捨てよと、家内を捨てよと、教祖様もそうでしたよね。死んだと思うて欲を放してと、ご依頼になっておられます。又は家内も後家になったと思うてと、いうふうに言っておられます。ですから、自分が捨てられるのではなくて神様が捨てよと仰るから捨てたんだという、捨てるんだというそこを私は死んでもままよという事だと思うです。自分が捨てる、もう家も捨てた家内も捨てた財産を捨てたと、そして身は軽々と修行に出る。なるほどそりゃ本当に思う存分の修行が出来る様ですけどそれは金光教の信心のご流儀、まあどっちが良いの悪いのじゃないですけど、金光様の信心は確かに人間が幸福になっていくことのための信心です。それでもなら神様が捨てよと仰しゃればいつでも捨てられるというそれがままよです。そういう心にお徳が受けられるとあるのです。
 自分からいわば捨てるのではない、というて私は越えるというわけでもないと思うです。金光様の御信心はいうならばその中間をいく様な感じがします。難儀そのものを引っ提げながらその難儀の中に神愛を悟って行くという行き方。ままよという、いうならば心の新しい解釈です。
 自分から捨てきったらそら本当に楽だろう。思う存分の信心の稽古もできるだろうごとあるけれども、それでは金光様の御信心にはならない。おかげの受け物を作るというのはそういうふうにして作っていくのじゃないでしょうかね。いろんな事に直面した時に、その直面した問題を捨てて行くのではなくてその中にそれを引っ提げてのおかげですから、力を受ける。神様が捨てよと仰しゃりゃ捨てられる。そこに私はままよというお徳の受けられる心というものが頂けれるんだと。どうもその何も彼も捨てたら本当に捨てて信心の稽古ができるだろうと、というてなら神様が思います、ならいよいよ神様の方が捨てよと仰る説きにはやっぱり未練があって捨てられない。これではだからおかげにならんです。そういうところが私は、御徳を受けるところだと。
 福岡の高橋さんのところの近所い大丸という家具屋さんがあります。それこそ甘木の熱心【 】。毎月御本部に二回お参り、甘木には毎日日参だそうです。そりゃ大変な財産、もう親先生のおかげで戦時中にあの辺一帯を買われた。家、土地、ところがあの辺、あの辺りは全部焼け残った。もうそれだけでも大変な事だったらしいですね。
 もうそれこそ商売が出来るに、どうにもこうにもできないで毎日毎日もう一生懸命の信心とにかく箱先からあの辺のところを毎晩毎晩夜中にずーっとお百度を踏んで、まわられたという時代があるそうです。どうにも出来ずに当時のお金で五十円か。甘木の親先生から借りられたという時代もあったという事です。ですから今日の大丸の財産は全部親先生のものだと言っとられるそうです。
 たくさんないわば財産がある、けれどもいっぺんだって甘木の親先生がお供えをしないかとか、と言われたことはなかった。けれども親先生が仰るならいつでもこれに熨斗をつけて差し出される。親先生の財産だと、こう言うておられるということ。そこにです大丸さんのいうならばお徳を頂かれた源があると思います。そこへんのところをね、金光様の信心の一番素晴らしいところ、いわゆる最後のところのままよという心、十二分の徳を受けるという事はそういうことだと思うんです。
 いくら親先生が言われてもこれだけは放されない、もうそれを握っておるだけでお徳が握られんことがわかります。達感と申しますかね、信心によって開けてくる心というか本当に有り難い。たくさんの物を引っ提げ持ちながら、そしていつでも放せと言われれば放せられるような心をです、私は創って行くという事が信心の稽古であると思います。また受け物といえばそういう受け物が限りないおかげにつながることだと思います。受け物が悪ければおかげが漏る、とこう言われる。自分のおかげの受け物が果してどの程度の受け物であるかと。小さい大きいはもちろんのことそういうすっきりとした、私は受け物がだんだん出来ていく稽古を私はしなければいけない。ためにはまず、おかげを受けなければいけない。
 神様のそれこそ、宮崎の網さんではないですけれども。どうしてこういうおかげになったか、自分でも書いておられる百パーセントという事は万事万端の上におかげを頂いて、年が越えられたという意味だろうと思います。そういう、ならおかげを頂き続けさしてもらうという事ですけれども、場合にはそれと反対のこともあるけれどもです。そういう時を大事にする信心。こういう間違いのない神様のお働きの中にあることだから、これもおかげに違いはないと確信できれるそういう信心が出来てきて初めて一切が親先生のものと例えば大丸さんが言っておられる様なところが出来る。その内容としてはそれこそ御本部や月参りじゃない二度参り。親教会には、お日参りという様な熱烈な信心が中味にあってそして親先生がいざ、何か金がいるぞと仰るならば、全財産にいつも熨斗をかけております。もちろん財産は親先生の物だ、親先生のおかげで頂いとるのだからと言えれるだけのです。私はこれがね、やっぱり言えれる信心でなければ駄目だと思うんです。ちいっとだん惜しかったっちゃですね、それが言えれるくらいな信心だったら神様がおかげ下さると思うですよ。かと言って親先生がいっぺんだって、大丸さん甘木にいくらいくらお金がいるばい、てなんてん仰ったことはいっぺんもないということです。なら言わっしゃれんなら思うとか言うとかじゃでけんとですから。言わっしゃった時が「はい」と言えれる心を作るということ。その心がおかげの受け物だという事を今日、聞いて頂いたんですね。どうぞ。